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I.はじめに
1980 年代後半の円高をきっかけにして,日本
人の海外旅行者は急増したのに対し,訪日外国人
旅行者は伸び悩んでいた。こうした日本の国際
観光にみられる不均衡を解消するため,日本政府
は2003 年から官民一体となって観光立国をめざ
すビジット・ジャパン・キャンペーンを開始し
た。その結果,訪日外国人旅行者数は順調に増加
し,目標とする年間 1千万人に近づきつつある
日本と英語圏の旅行案内書からみた
東京の観光名所の空間分析
鈴木晃志郎* 若林芳樹*
Spatial Analysis of Tourist Attractions Listed in Japanese
and English Guidebooks to Tokyo
Koshiro SUZUKI* and Yoshiki WAKABAYASHI*
Abstract
Geographers have made a variety of studies using guidebooks to clarify the meaning and
distribution of tourist sites in cities. Nevertheless, few studies quantitatively examine the
spatial distribution of tourism sites in detail. In addition, little is known about differences
among attractions in terms of the cultural backgrounds of tourists. Hence, this study made a
spatial analysis of tourist attractions described in guidebooks written for Japanese and English-
speaking readers. Applying kernel density estimation and raster operation method with
GIS, this study clarifies that tourism attractions in guidebooks differ between Japanese and
Anglophone countries. English guidebooks recommend readers to visit not only cultural sites
(e.g., historic places, museums, and theatres)but also sites for nightlife(e.g., bars and
taverns). In contrast, Japanese guidebooks show less interest in these types of attraction, and
tend to focus more on shopping and eating. The spatial distribution of the tourism attractions
also indicates some differences between Japanese and Anglophone guidebooks. Specifically, the
spatial extent of tourist attractions in English guidebooks is smaller than that in Japanese
guidebooks, being located close to railway stations along Yamanote Line. English guidebooks
are also characterized by tourist sites for nightlife, centering on the Roppongi district. Thus,
attractions listed in guidebooks are regarded as a reflection of the interests and behavior patterns
of tourists.
Key words: tourist attractions, guidebook, kernel density estimation, raster operation, cross-
cultural comparison, Tokyo
キーワード: 観光名所,旅行案内書,カーネル密度推定,ラスタ演算,異文化比較,東京
* 首都大学東京大学院都市環境科学研究科
* Graduate School of Urban Environmental Sciences, Tokyo Metropolitan University
522
— —
地学雑誌
Journal of Geography
117(2)522⊖533 2008
523
— —
(国土交通省, 2006)。しかし,外国からの旅行者
を増やすためには,受け入れ態勢の整備だけでな
く,外国人からみた日本の観光地の魅力や外国人
の観光行動の特徴を的確に把握する必要がある。
そのために,訪日外国人旅行者に質問紙調査を
実施した国際観光振興機構(2005)のような例
もあるが,限られた質問項目から観光地に対する
意識や行動を詳しく知るのは困難である。そこで
本研究は,日本と外国の旅行案内書の内容を比較
しながら,旅行者の文化的背景による観光名所
(tourist attractions)
1)の違いを明らかにすること
を試みる。
これまでに旅行案内書を用いた地理学的研究
は少なくないが,大別すると,旅行案内書の内容
分析を通じて,空間に付与された意味を読み解
こうとする研究(たとえば,Del Casino Jr. and
Hanna, 2000; Siegenthaler, 2002) と,旅行案
内書に掲載された名所の空間的分布と記述内容と
の関係を検討した研究(たとえば,Lew, 1991;
滝波, 1995; 木築, 1996; 今野ほか, 2002)に分け
られる。本研究は,後者の研究の流れに位置づけ
られる。
これらの研究のうち,Lew(1991)はシンガポー
ル中心部を記述した複数の案内書を類型化し,類
型ごとにとりあげられる名所の比率や分布域が異
なることを指摘した。一方,滝 波(1995)はパ
リを対象にして旅行案内書ギド・ブルーに含まれ
るイメージ要素を類型化し,地区ごとのイメージ
要素の出現頻度を通してツーリズム空間の特徴を
検討している。これにならって,木築(1996)
は観光地「長崎」のイメージとその変遷について
旅行案内書を用いた検討を行った。この研究で明
らかになったのは,同じ地域を描いた案内書でも
時代によって採用される名所や記述の仕方が変化
することである。そうした変化に焦点を当てた研
究として,江戸期から 2000 年までの東京の名所
の変遷をガイドブックを用いて明らかにした高槻
(2004),大正期から昭和 20 年代までに日光地域
を描いた日本と外国の観光ガイドブックの記述を
通して,観光スタイルや価値観の変化を捉えた今
野ほか(2002)などの事例がある。
旅行案内書を用いたこれらの地理学的な研究で
は,掲載された名所の空間的分布を単位地区に集
計して分析することも多かった。しかし,個々の
名所の所在地がわかっていれば,GIS(地理情報
システム)の解析機能を用いて,より詳細な分布
傾向を定量的に把握することができる。そこで本
研究は,日本で最も多くの外国人旅行者が訪れる
東京を事例にして,異なる国で出版された旅行案
内書の掲載地点を GIS で空間分析し,そこに現れ
た日本人と外国人の観光行動の違いを考察する。
II.研究の方法
ここでとりあげるのは,Suzuki and Waka-
bayashi(2005)が旅行案内書にみられる空間記
述の異文化比較で使用したのと同じ,日本と英語
圏の旅行案内書である。本研究では,東京につい
て記述した日本の案内書と英語圏の案内書をそれ
ぞれ 3冊ずつとりあげた2)
。これらは,書店で容
易に入手できる,英語圏と日本の代表的な旅行案
内書のシリーズのうち,対象地域の東京に関する
豊富な記述を含んでいるという理由で選択した。
観光名所の分布傾向を把握するために,各旅行
案内書に掲載された東京都内の観光資源や観光施
設をすべて抽出し,住所の情報をもとに CSIS
(東京大学空間情報科学研究センター)の「CSV
アドレスマッチングサービス」を用いて経緯度情
報を取得した。マッチングが上手くいかない地
点,および案内書の住所データが不完全である地
点については,インターネットを通じて該当する
地点を検索し,そこに記された住所情報を取得し
た。その結果,日本の案内書では全 1,609 地点中
1,588 地点,英語圏の案内書は全 1,229 地点中
1,200 地点がジオコーディングされ,掲載地点全
体の 99.9%が分析対象となった。
これらの観光名所を分類するために,本研究で
はHall and Page(2002),岡 本(2001),淡 野
(2004)などの既往の研究を参考にして,独自の
分類基準を作成した。個々の名所の分類に際して
は,旅行案内書中の各掲載地点の解説等を参照し
た。その結果,観光名所は表 1のような大分類・
中分類・小分類に分けられた。同じ東京を対象に
524
— —
表1 観光名所の分類と出現頻度.
Table 1 Types of tourist attraction and their relative frequency.
大分類 中分類 小分類 日本
(%)
英語圏
(%)差
宿泊施設 宿泊施設
ホテル
旅館
その他
(小計)
11.5
0.3
0.3
12.1
15.9
2.0
0.0
17.8
-4.4
-1.6
0.3
−5.7
飲食施設
酒場
ライブハウスなど
洋風の酒場
居酒屋
(小計)
3.9
2.9
1.4
8.2
5.1
9.4
1.5
16.0
-1.2
-6.6
0.0
−7.8
レストラン
和食
洋食
エスニック料理
中華料理
喫茶
(小計)
10.4
12.0
3.0
1.8
2.5
29.8
12.7
8.4
5.5
1.6
0.8
29.0
-2.3
3.6
-2.4
0.2
1.7
0.8
その他飲食
洋菓 子・食品
和菓 子・食品
フルー ツパーラー
食材店
(小計)
5.8
3.5
0.2
0.7
10.3
3.9
0.1
0.0
0.4
4.4
1.9
3.4
0.2
0.3
5.9
遊覧施設
観賞型観覧施設
旧跡
寺社
構造物
官公庁
和劇場
洋劇場
美術館
博物館
(小計)
1.6
2.7
0.6
0.5
1.1
0.6
2.3
3.4
12.7
1.8
3.0
0.7
1.0
1.4
1.1
4.0
4.3
17.2
-0.2
-0.3
-0.1
-0.5
-0.3
-0.6
-1.7
-0.9
−4.6
娯楽型観覧施設
遊園地
水族館
映画館
図書館
動物園,植物園
(小計)
2.5
0.6
0.4
0.5
0.3
4.3
1.4
0.2
0.5
0.0
0.2
2.2
1.2
0.4
-0.1
0.5
0.1
2.1
商業施設
複合施設
商業ビル
雑貨
服飾
書店
電器店
(小計)
2.9
1.4
8.2
3.4
1.4
0.3
17.5
2.9
1.5
2.3
1.1
1.1
0.8
9.7
-0.1
-0.2
5.9
2.4
0.3
-0.5
7.8
保養施設
浴場
緑地
公園
山,滝,鍾乳洞
(小計)
0.3
1.3
2.1
0.6
4.2
0.2
1.5
0.7
0.1
2.6
0.1
-0.2
1.3
0.5
1.6
その他
競馬場
スポーツ施設
学校
交通施設
美容・理 容
(小計)
0.1
0.5
0.1
0.2
0.1
0.9
0.2
0.8
0.0
0.1
0.0
1.1
0.0
-0.3
0.1
0.1
0.1
−0.1
合計
(サンプル数)
100.0
1609
100.0
1229
-
-
525
— —
して名所の変化を分析した高槻(2004)の研究
では,寺社や史跡に代わって施設の占める割合の
増加が指摘されており,表1でもその傾向が読
み取れる。ジオコーディングされた名所の分布の
分析には,ESRI 社の ArcGIS 9.0 を使用した。こ
こで使用するデータでは,複数の案内書に登場す
る名所も少なくないが,これを点記号のドットで
表示すると,名所が重なった区域の密度が過小評
価されてしまう恐れがある。また,ドットのまま
では観光名所の分布パターンを比較する際,分布
図相互の定量的比較が困難である。グリッドなど
の単位地区に分割して点データを集計し,ポリゴ
ンデータとして処理する方法もあるが,単位地区
のサイズや設定の仕方によって結果が異なること
は,可変単位地区問題(MAUP)として知られ
ている(貞広, 2003)。
こうした問題を回避するために,本研究では
カーネル密度推定法(中谷, 2004, 54⊖57)を用
いて,離散的な点の分布を連続的な曲面に変換し
て分布傾向を捉える。名所の分布密度の推定値に
ラスタ演算を適用して差を求めれば,日本と英語
圏の観光名所の分布の相違を定量的に分析するこ
とができる3)
。
III.観光名所の種類別構成比
旅行案内書で紹介された各名所が,全体の中で
どれだけの比率を占めているのかを,日本と英語
圏の間で比較したのが表 1である。ここで,「差」
の欄は,各分類項目が掲載情報全体に占める比率
を日本と英語圏で比較した値であり,マイナスは
英語圏側で,プラスは日本側で,それぞれ比率が
高いことを意味する。
これをみると,宿泊施設の比率で英語圏の方が
高いのは,日帰り客も含まれる日本の旅行者とは
違って,外国人には宿泊場所が旅行の重要な要素
となるためであろう。一方,飲食施設について
は,菓子や軽食を提供するその他の飲食施設で日
本が上回るのに対し,英語圏の案内書は酒場で日
本を上回っている。バーや居酒屋などを含む酒場
が夜型の名所とすれば,その他の飲食施設は昼型
の名所といえる。このことから,英語圏の案内書
は夜間の観光行動も重視しているといえるだろう。
遊覧施設については,美術観賞や観劇など比較
的教養色の強い鑑賞型観覧施設の占める割合が英
語圏で高いのに対し,日本側は服飾や雑貨品など
の商業施設,および遊園地などの娯楽型観覧施設
の比率が高い。英語圏の比率が日本のそれを上回
るのは,商業施設の中では電器店,飲食施設では
日本料理などに限られる。このことから,東京は
日本の旅行者にとって買物や娯楽の情報提供が重
視されているのに対し,英語圏の旅行者には文化
的名所に重きをおいた情報提供がなされていると
いえる。
IV.観光名所の空間的分布
1)全体的傾向
まず日本と英語圏の案内書に登場するすべての
名所の分布について,標準偏差楕円を用いて比較
したのが図 1である。この図における楕円の面
積は,日本が 91.9 km2,英語圏が 46.5 km2とな
り,日本の案内書の方が名所は広域に分布してい
ることがわかる。これは標準偏差楕円の形状にも
現れており,いずれも東西に扁平なほぼ相似形の
楕円で,日本の方が英語圏のそれより一回り大き
い。分布の平均中心は,日本の案内書の方がやや
南側にあるが,これは英語圏の案内書に比べて臨
海部の名所も比較的多く収録されているためであ
ろう。
また,鉄道駅(地下鉄,モノレール等を含む)
からの距離を比較するために,バッファ解析に
よって駅から 500 m 以内に立地する名所の割合
を求めると,日本が 94.8 %に対して英語圏は
98.6%と,英語圏の案内書の方が駅に近接した名
所を多く掲載していることがわかる。本研究と同
じ旅行案内書にみられる道案内情報の記述様式を
比較した Suzuki and Wakabayashi(2005)は,
日本の案内書が地図や写真を多用して言語的記述
を補っているのに対し,英語圏の場合はもっぱら
言語に頼るという記述スタイルの違いを見いだし
た。こうした違いの一因は,住居表示システムの
相違に関係していると思われる。街区方式をとる
日本の住居表示は外国人にはなじみにくいであろ
526
— —
う。駅に近接した名所が多いのは,そうした不慣
れな土地での行動に一定の配慮がなされた結果か
もしれない。
図 1では名所の分布の詳しい傾向は読み取り
にくい。そこで前述のカーネル密度推定法(検索
半径 1 km,出力セルサイズ 200 m)を用いて,
日本と英語圏それぞれについて分布密度を求めた
のが図 2a,bである。ここで,検索半径を 1 km
としたのは,平成 10(1998)年東京都市圏パー
ソントリップ調査結果による徒歩の平均トリップ
時間(13.1 分)に基づいて,時速 4kmと仮定し
た徒歩の平均トリップ長が約 1 km となるためで
ある。つまり,名所間の回遊行動も 1 km の範囲
内で行われると考え,これを検索半径に用いた。
したがって,得られる密度局面は単なる名所の分
布というよりも観光客の潜在的訪問先を表してい
る。また,出力セルサイズは,データのサイズと
密度曲面のなめらかさを勘案して 200 m とした。
こうして得られた分布の差を,密度推定値のラ
スタ演算によって求めたのが図 2c である。この
図では,日本の案内書の名所密度から英語圏の案
内書のそれを引いた値を示し,値が高い(明るい)
部分ほど日本の案内書が,低い(暗い)部分は英
語圏の案内書の密度が高いことを表す。これらの
図をもとに,名所の分布を詳しくみると,英語圏
の案内書に登場する名所が JR 山手線周辺とその
内部に偏在しているのに対し,日本の案内書では
山手線から外れたところにある,吉祥寺,自由が
丘,下北沢といった若者や女性に人気の盛り場に
も名所が多いところが特徴的である。これらの地
区が英語圏の案内書に登場しない理由として,日
本の伝統文化に接することのできる観光資源が乏
しいことが考えられる。
また,お台場や月島・晴海など臨海部に位置す
る比較的新しい名所も,英語圏の案内所にはほと
んど現れない。これは,前述の若者・女性向けの
図1 旅行案内書に現れた名所の分布と標準偏差楕円.
Fig. 1 Spatial distributions of tourist attractions listed in guidebooks and their standard deviational ellipses.
527
— —
盛り場と同様に,異国情緒に欠けること,観光名
所として知られるようになって日が浅いことなど
が原因と考えられる。
2)名所の種類別にみた分布傾向
前章の分析から,東京の観光名所については,
買物・娯楽施設を指向する日本の案内書と,文化
的・教養的要素を重視する英語圏の案内書との
違いが比較的明瞭にみられた。ここでは,そうし
た観光名所の偏りが名所の空間的分布にどのよう
に現れるかを,GIS を用いて分析してみたい。
とりあげる観光名所は,表1において日本と
英語圏の差が比較的大きかった,宿泊施設,酒
場,その他飲食,鑑賞型観覧施設,商業施設であ
る。これらの観光名所について,前述のようにカー
ネル密度 推定 を行 った後,ラスタ演 算によって
分布密度の差を求めたのが図 3である。ここで
図2 カーネル密度推定による日本と英語圏の旅行案内書に現れた名所の分布.
(a)日本の案内書の名所密度.
(b)英語圏の案内書の名所密度.
(c) 日本と英語圏の案内書の名所分布密度の差.
Fig. 2 Kernel density estimation surface for spatial distributions of tourist attractions
listed in Japanese and English guidebooks.
(a) Density estimation surface for tourist attractions in Japanese guidebooks.
(b) Density estimation surface for tourist attractions in English guidebooks.
(c) Differences in kernel density estimation surfaces for tourist attractions
between Japanese and English guidebooks.
528
— —
図3
Fig. 3
529
— —
は,紙幅を節約するために,日本の案内書の密度
は省略し,代わりに日本と英語圏の密度の差を右
側の図で示している。
英語圏の案内書に比較的多い宿泊施設(図 3a)
は,皇居を取り巻く都心部と山手線の主要駅の周
囲に塊状に分布する。日本との差を求めた右側の
図では,値のレンジが約 10 と比較的小さいこと
がわかる。ただ,日本側の方がやや分布範囲が広
図3 観光名所の種類別分布の密度推定結果.
(左 :英 語 圏,右:日本-英語圏の差分)
(a)宿 泊 施 設 .
(b)酒 場 .
(c)その他飲食施設.
(d)鑑賞型観覧施設.
(e)商 業 施 設 .
Fig. 3 Kernel density estimation surfaces for tourist attractions in guidebooks.
( Left: English guidebooks, Right: Difference between Japanese and English guidebooks)
(a)Accommodations.
(b)Bars and taverns.
(c)Other places for dining or buying foods.
(d)Historical/cultural sites.
(e)Commercial establishments.
530
— —
く,山手線の外側にまで広がっている。
同じく英語圏の案内書に多い酒場(図 3b)の
分布密度をみると,新宿や銀座以外に,六本木・
青山・渋谷にかけて帯状に高密度地区が現れる。
これは,この周辺に大使館や外資系企業が多く,
外国人向けの宿泊施設や飲食店が集中しているこ
とと関係している。差を求めた右側の図でも,こ
の一帯で英語圏の名所が卓越することが確認さ
れ,全体的に値のレンジはきわめて大きい。ただ
し,吉祥寺,下北沢,自由が丘といった若者向け
の盛り場では,日本の案内書にとりあげられた名
所の多さが顕著である。
菓子や軽食を提供する店が含まれる「その他飲
食施設」(図 3c)も,酒場と類似した分布傾向が
みられるものの,浅草・上野方面にも高密度地区
が広がっているところが特徴的である。これは神
社・仏閣などの観覧施設も多い上野や浅草には,
伝統的な和菓子を扱う店も多く集まっており,日
本文化を味わうのに適した場所として外国人に
とっても重要な名所であることを表している。た
だし,この種の施設は,英語圏の掲載割合が低い
ため,差を求めた右側の図では全体的に日本の名
所密度の方が高い地区が卓越する。
東京のアーバン・ツーリズムにとって重要な観
光資源といえる鑑賞型観覧施設(図 3d)は,著
名な史跡や伝統的建造物が多い下町の上野・浅草
から皇居を取り巻く都心部,および博物館や劇場
が集まる新宿・渋谷の副都心周辺に多く分布す
る。こうした文化的施設は英語圏の方が掲載件数
は多いため,差を求めた右の図では,値のレンジ
が20 近くに開いて全体的にマイナスの値が卓越
する。
最後に,英語圏の案内書に掲載された商業施設
(図 3e)は,銀 座,新宿,渋谷,池 袋,上野と
いった都心・副都心の商業集積地に多く分布する
ほか,外国人向けの店が多い青山・六本木付近に
もやや高い地区がみられる。日本との差を求めた
右側の図では,値のレンジが 7前後と小さく,日
本と英語圏での違いは比較的小さい。ただ,全体
的に日本の案内書で比率が高いため,密度の差が
正の値をとる地区が多くなっている。
V.考察:名所の空間的分布と旅行者の行動
前章までの分析は,旅行案内書で想定されてい
る旅行者の意識や行動様式に,日本と英語圏とで
違いがあることを示唆している。そこで,日本を
訪れる旅行者の意識・行動を知るうえでの数少な
い資料である,国際観光振興機構(2005)が行っ
た訪日外国人調査結果を用いて,本研究の結果の
妥当性を検討する。この調査では,2003 年11 ~
12 月と 2004 年2月に日本の国際空港で出国前
の外国人旅行者(滞在期間 2日~ 6ヶ月)を対
象に行われた質問紙調査に基づいている。サンプ
ル数は 4,829 人で,結果は主要な国別に集計され
ている。
このうち,英語圏の中で最も多いアメリカ合衆
国からの旅行者に関する結果を分析対象とする。
ただし,ひとくちに外国人旅行者といっても,ア
ジア人と欧米人とでは旅行のスタイルや嗜好に大
きな違いがある(吉住, 2004)。そこで,比較の
ために,最も多い訪日旅行者を送り出している韓
国についての結果も併せてとりあげる。
まず,日本を訪問した動機(観光目的の旅行者
のみの回答)をみると,アメリカ合衆国の旅行者
の場合,日本人の生活の見聞・体験(43.6 %),
日本訪問への憧れ(32.2 %),日本食(28.9%),
歴史・町並み・建造物(26.8 %),の順で多い。
これは韓国人旅行者でも類似した結果となってお
り,景観や食事を含めた日本の文化に対する関心
が旅行の動機の中で重要な部分を占めていること
がわかる。とくに日本食は世界的にも人気が高
まっているが,本研究でとりあげた旅行案内書
に登場する名所のうち,最も大きな割合を占める
レストランの中にあって,和食の店は 4割以上
を占め,日本のそれよりも比重が大きい(表 1参
照)。
こうした旅行動機は,訪問した場所にも反映さ
れている。国別・男女別に東京都内での訪問先を
集計した表 2をみると,銀座や新宿などの盛り
場のほか,浅草・上野・皇居など,日本の文化や
伝統に接することのできる場所への訪問の割合が
高い。これは,とくに英語圏の案内書において,
531
— —
寺社や博物館・劇場などの鑑賞型観覧施設が上
野・浅草から皇居周辺にかけて多く分布していた
ことと符合する。それはまた,日本の伝統・文化
への関心が高い外国人旅行者の特徴を表してい
る。
表 2でアメリカ人と韓国人の旅行者を比較す
ると,アメリカ人の場合,前述の主要な名所のほ
かに六本木を訪れる割合が高いのが特徴的であ
る。これに対し,韓国人については,お台場など
臨海部の名所が上位を占めるのが目を引く4)
。こ
れは,台湾や中国など他のアジア諸国からの旅行
者にも共通しており,吉住(2004)が指摘した
欧米からの旅行者との観光のスタイルや嗜好の違
いを表している。
六本木に対するアメリカ人の関心が高いこと
は,本研究の分析結果にも現れており,六本木付
近の名所は日本の案内書よりも英語圏の案内書に
登場する頻度が高かった。とくに,英語圏の案内
書で「After dark」や「Nightlife」といったカテ
ゴリーが設けられている点は,日本の案内書との
きわだった違いをなしている。このように,外国
人向けの酒場や飲食店が多い六本木付近は,英語
圏の旅行者にとってナイトライフを楽しむ場とし
て関心が向けられている。
以上のように,英語圏の旅行案内書に現れた観
光名所の特徴は,訪日旅行者の調査結果とも符合
するものであった。これは,旅行者の行動の選択
肢を提供するという旅行案内書の役割からみて
当然のことであるが,同じ旅行者が案内書に掲載
されたすべての名所を訪問するわけでもない。旅
行者の動機や行動様式にはさまざまなタイプが
あり,そのタイプによって訪問先やそこでの行動
も異なることは良く知られている(若林, 2002)。
また,旅行案内書によって想定する旅行者のタイ
プに違いがみられるため,案内書別に比較すれば
名所の分布にも違いが現れるかもしれない。さら
に,アジア諸国の旅行案内書と比較すれば,英語
圏とは違った傾向がみられる可能性もある。これ
らの点についての検討は,今後の課題としたい。
VI.おわりに
本研究は,東京を対象とした日本と英語圏の旅
行案内書をとりあげ,掲載された観光名所の分布
パターンからみた観光行動の違いを比較した。そ
の結果,全体的に日本より英語圏の案内書の方が
掲載地点の分布範囲は狭く,鉄道駅への近接性も
高かった。これは,なじみの薄い外国人旅行者に
とっての名所が空間的に絞り込まれていて,公共
交通機関でのアクセスが容易な範囲に集中して
いることを意味する。ただし,これが東京に特有
表2 男女別・国籍別にみた東京都内の訪問先.
Table 2 Places visited in Tokyo by gender and nationality.
順位 韓国 アメリカ合衆国
男性%女性%男性%女性%
1新宿 23.9 新 宿 29.8 その他東京 27.6 その他東京 35.7
2その他東京 22.3 その他東京 23.5 新宿 19.1 銀 座 19.5
3銀座 7.7 渋 谷 14.1 銀座 17.4 新宿 17.6
4渋谷 7.6 原 宿 13.6 六本木 12.5 浅草 16.7
5上野 7.1 お台場 13.6 浅 草 9.9 皇居 14.0
6浅草 5.5 上 野 11.9 品川 8.3 六本木 14.0
7お台場 5.2 浅草 10.1 皇 居 7.3 上野 10.4
8原宿 4.7 銀 座 8.1 赤坂 6.9 渋谷 9.0
9品川 4.6 池 袋 6.3 渋谷 6.1 原宿 7.2
10 秋葉原 4.5 六本木 6.3 上野 5.6 東京タワー 6.8
国際観光振興機構 (2005) に基づき作成.
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の傾向なのか一般的なものなのかは,他都市との
比較を行ってみなければわからない。
日本と英語圏の案内書に掲載された名所の空間
的分布を比較したところ,英語圏の案内書の特徴
として,文化的観光資源が豊富な上野・浅草から
皇居付近にかけてと,外国人向けの盛り場である
六本木付近の名所の登場する頻度が高いことがわ
かった。これは,英語圏の旅行者に特徴的な,日
本の伝統・文化に対する関心と,ナイトライフも
重視する観光のスタイルを反映している。
ところで,東京を対象とした旅行案内書の内容
分析としては,都心商業地の活性化の条件を探る
ために行われた岡田・中井(2003)の研究がある。
1991 年と 2001 年の二時点で日本の案内書に含
まれる掲載地点を類型化して変化を検討すると,
1991 年には大規模商業施設と寺社仏閣が最も高
い集客効果を示していたのに対し,2001 年には
飲食施設がとって代わったことが明らかになって
いる。本研究で得られた知見も,日本の案内書に
関しては彼らの分析結果を支持している。
しかしながら,英語圏の案内書については,岡
田・中井(2003)の見解とはやや異なり,神社
仏閣等の観覧施設のウェイトも比較的高かった。
こうした結果が文化の差によるのか,それとも国
内旅行と外国旅行の違いによるのかは,改めて検
討する余地がある。
いずれにしても,ここで得られた知見は,冒頭
で述べた訪日外国人誘致策を考える際の一つの材
料になることは間違いない。とくに,多様な観光
資源が含まれ,さまざまな目的で多数の国から旅
行者が訪れる大都市のツーリズム空間を検討する
には,旅行者の社会的・文化的背景を考慮するこ
とが重要である。そうした外国人旅行者の行動様
式や観光地に対する意識を捉える際に,旅行案内
書が一つの手がかりを与えることは,本研究から
も明らかである。一方,GIS の応用という面か
らみた場合,観光分野では GPS やIC タグを活
用した観光案内やナヴィゲーション,Web GIS
による観光情報の提供など,地理情報技術の実践
的利用が進んできている。しかし,観光研究に
GIS を導入した成果はまだ乏しいのが現状であ
る。本研究は,観光資源・施設の立地分析や観光
客の行動分析などにも,GIS が幅広く応用でき
る可能性があることを示し得たのではないかと考
える。
注
1)観光の対象は,観光資源と観光施設とに分けられ
る(岡 本, 2001, p.186) が,アーバン・ツーリズム
の場合,地元住民も旅行者と同じ観光資源や施設を
利用する可能性が高く(ピアス, 2001, p.414),観光
施設が観光資源を兼ねることも少なくない。そのた
め,両者を区別するのは難しいと考え,本研究では
一括して観光名所として扱うことにした。
2)日本の旅行案内書には,るるぶ社(2000): JTB の
ポケットガイド 15. JTB 出版,大日本印刷 CDC 事
業部(2000): エアリアマップ旅王国 12. 昭文社,ブ
ルーガイドニッポン編集部(1999): ブルーガイド
ニッポン編集部 10. 実業之日本社を,英語圏の旅行
案内書には,Cashion, D.S.(2000): Forder's updat-
ed edition Japan. Fodor's Travel Publications,
Reiber, B.(1998): Frommer's Tokyo. Macmillan,
Rowthorn, C. and Taylor, C.(1998): Lonely Planet
Tokyo. Lonely Planet Publications をそれぞれ採用
した。
3)こうした処理は,複数のデータから得られた密度間
の差や比を求めるデュアル・カーネル(Dual ker-
nel)という方法に相当する。推定された密度は比尺
度であり,標準化は行っていない。また,密度がゼ
ロの区域も含まれるため,比を求めるのは難しい。
そこで,差を求めるのが適当と判断した。
4)訪日外国人旅行者調査によると,臨海部の名所と
しては TDR(東京ディズニーリゾート)も,韓国を
はじめとするアジア諸国からの旅行者の主要な訪問
先に挙がっているが,英語圏からの旅行者が訪れる
頻度は少ない。本研究の分析では,対象を東京都内
に絞ったため,もともと TDR はデータに含まれてい
ない。
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(2007 年9月6日受付,2008 年1月15 日受理)